極真空手 茨城大子道場

  Love&Freedom そのために…

⑦書籍・ポスター

空拳士魂

副題がわが極真の実像とあります。
80年代、極真は全国的に道場がゆきわたり、海外にも網の目のように組織が広がったその裏で、さまざまなことが起こっていたのだろう。


1985年(昭和60年)刊行
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組織はそういうもの。
人間はそうなんだと思います。
裏切ったり、去っていったりして、さらに拡散して一般化して定着する。そしてまた別れていきます。

とは言え、去られる側はそんなのんきなことは言ってはいられない。

そのような分裂、拡散について、組織の長として書かねばならなかったのだと思います。

僕もこの本が発売された時には期待してページをめくりましたが、期待したほどの核心に迫ることは書いてはいません。
書けるわけないけどね。


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もちろん本書には、組織のゴタゴタ以外にも興味あることが書かれています。

武道空手とは何か
新会館建設について
ウェイト制大会について
顔面攻撃について

大山総裁が書物に記す様々な事柄は、いつもぶれずに本質を衝いている。
今の極真にそれがあるのだろうか。










最強最後の大山倍達読本

「80キロよりも100キロ、100キロよりも150キロ、150キロよりの人間よりも牛が強いよ!」

こう言い放つ大山倍達とはいったいどんな人物なのか。どんな人生を歩んできたのかを、若き日の大山を知る関係者や弟子の証言をまとめ上げた書物です。


1997年(平成9年)刊行
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戦後のやくざとの喧嘩の時代
思想運動に明け暮れた時代
大山道場の時代
そして世界に伸びる極真空手の時代へとつながります。


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様々な人達からの、様々な角度からの証言インタビューです。

大山倍達に限ったことではなく、偉大な人物ほどその人物像は多面的であり、接する人の目には、時には詐欺師、ほら吹き、時には聖人君子のごとく映ることがあります。イエス・キリストもゴータマ・シッタールタだってその人生は今の常識には納まりきらず、そして謎だらけです。
でも、その輝きは時代を経るほどに輝きを増し、後の世に影響を与え続けています。

「群盲象を評す」に例えられるように、偉大な人物は我々凡人には評価できない。
よく「盲千人、目明千人」などといいますが、伝説的偉人にとっては「盲二千人」なのかもしれない。


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大山倍達 永遠の魂

大山倍達は1994年(平成6年)に亡くなりました。本書はその翌年に発行された、その当時の高弟たちの言葉をまとめた追悼集です。


1995年(平成7年)刊行
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49人の高弟たちとあり、総裁が亡くなってすぐに組織を離れた師範たちもいますから、この時点で本に載せることができたのは49人だったのだろう。

そのなかで興味深かったのが、小嶋師範の思い出です。
"「空手家以前」の大山倍達を、語れる唯一の証言者”と題されています。

小嶋少年が接した若き日の大山倍達の姿です。
その当時、まだ小学生だった小嶋氏のおばさん宅に大山総裁は下宿していたといいます。

その頃から既に大きな身体をしていた大山総裁。
二人でよく銭湯に行ったらしいのですが、総裁は風呂には入らず何処かへ行き、しばらくすると顔や手に怪我をして戻ってきました。
もちろんケンカをしてくるのですが、そのケンカの相手はヤクザだったそうです。



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また、下宿の部屋には、「世界一の男になる」「力無き正義は無能なり、正義無き力も無能なり」と貼り紙があった。
あの頃から既に世界への野望を持っていたのでしょう。

それぞれ高弟たちの思い出やエピソードが掲載されています。
あの頃はみんな同じ傘の下にいたんだよなぁ。







牛を一撃で倒した男

CDの山から出てきた「牛を一撃で倒した男」久しぶりに観ました。

稽古や合宿、100人組手の映像、最後には牛と格闘しているシーン。


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そこには、80年代から90年代にかけての、自信に満ちた大山総裁の姿がありました。

やはり偉大だったなぁ。
極真空手が一番輝いていた時代。
大山総裁は60代、いい時代を生きて幸せだっただろうな、などと考えながら、思えば自分も既にその年代にいるんだ…



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武道論

大山総裁が亡くなる2年前に出版された書物です。


1992年(平成4年)刊行
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大山総裁と弟子で作家の平岡正明氏との対談集です。

上総一宮ホテルに宿泊して3日間話し続けたとあります。(多忙な大山総裁がそんな時間を持てたのかは疑問ですが…)



本書に掲載されている下の写真は、「唐手術大山六段道場」とあります。
大山六段の体格が際立っています。
格闘家に必要なのは、バッキバキの腹筋でも、丸まった胸筋でもない。

今時のプロレスラーは、見た目重視のボディービルダーみたいなのが多いようですが、大山六段を見てわかると思いますが、首から背中にかけての鍛え込んだ筋肉です。
これだけ見ても強さが想像できます。

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世界情勢から武道論、極真精神など多岐に渡る対談のなか、特に目に付いたのが、支部長の定年制について言及している箇所です。

”支部長会議で「君たち、守勢に入ったらそれでお終いだよ」
極真は年を取った支部長が多くなった。だから、支部長に年限を加える。55歳から65歳、まだ思案中なんだが、高齢になったら全部引退しろと。
それで、自分の弟子の一番強い奴を支部長にしろと。そういう制度をつくりたいと思っている。

支部長は死ぬまで支部長にしてくれと言っているんだよ。
「ダメだ」と言った。死ぬまでやるのは、大山倍達だけでいい。引退した支部長はそこの会長になればいい…”



柔道王木村政彦氏(左)
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大山総裁名義で出版された書籍の中で、僕はこの本が一番読みごたえがあり面白かった。

大山総裁の書籍はゴーストライター云々と言われますが、誰が書いたとしてもなかなかの内容です。

共著の平岡正明氏の文かも知れませんが、その当時の大山倍達総裁の考えていることを忠実に再現していると思うし、内容も深いことが書かれています。

世界情勢など、今となっては古びてしまった情報も勿論ありますが、一読をお勧めする本です。


大山道場
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大山倍達総裁亡き後、高弟たちは口々に「総裁の意志を継いで…」と自分の会派を立ち上げました。
つまり分裂です。

大山倍達総裁が亡くなって30年が経ちます。
あの頃30代だった僕達は、もう既に60歳を過ぎ、総裁の言うところの引退の時期です。
極真空手は、大山総裁が予見したとおりの状態に今、既にあるのだと思います。

僕は今すぐにでも、立場を後進に譲る気持ちでいます。(なんてことない立場ですけど)
それこそが、組織がまた30年続く唯一の方法だと考えています。

組織ってなんだろう。
道場ってなんだろう。
諸先輩方が連綿と繋いできたこの伝統をここで終わりにしては、道場で生徒に説いてきた言葉がすべて嘘になってしまう。
僕はそのように考えています。


生徒に説いてきた言葉ってなんだって?
「頑張れ」
「声が小さい」
「気合いだ気合い」
「もっと本気になれ」
そんなことです。

生徒たちは、何でもないかも知れないそんな言葉を励みに努力している。僕はそんな人たちを裏切れない。
それだけです。




幻の大山道場の組手

本書の著者渡邊一久氏は、極真会館の前身である大山道場時代の生え抜きとしての最初の師範代です。
初期の大山道場は、大山館長の育てた弟子が指導にあたっていたわけではなく、古巣の剛柔流空手の道場などから協力を得ていたそうです。

ここに書かれているエピソードや組手解説は、現代の極真空手とは全く趣を異にするものです。

空手を始めたのは、家業の居酒屋の簡単に言えば「用心棒」のためだった。大会を目指している今の空手とは根本的に違います。
アルコールを扱う店では、毎晩のようにトラブルが起きた。時には刃物を振り回す「やくざ」ともやりあったが、高校時代に学んだ柔道ではなく、一発で倒せる技が欲しかったという理由で、牛殺しで有名な大山道場に入門した。

とにかく僕が学んでいる極真空手とは全く異なる武術としての空手がありました。
今となっては、もう既に「幻の空手」です。



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世界に伸びる極真

80年代、勢いのまま全国、全世界へと勢力を伸ばしていたあの頃が懐かしい。

組織は、ある時期立ち止まり方向性を見直すことが重要だと思います。
でないとどこかで崩壊するということを歴史が証明しています。



(極真会館世界勢力図 1989)
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県大会ポスター

今回は、秘蔵品の県大会ポスターを一挙公開いたします。三枚だけしか残っていませんが。

(第一回大会)
昭和58年7月31日開催。
僕の入門が昭和57年7月30日なのでちょうど一年目となります。
大山倍達館長を招いて、茨城県大会はここから始まりました。

写真は、桝田師範の手刀氷柱割りの演武。フォーム、スピード、パワーとも素晴らしいの一語に尽きます。
誰も真似できません。


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(第三回大会)
写真は第一回、二回大会覇者の植村師範代、そして小野師範と野沢師範の闘いです。みんな若さがみなぎっていました。
バット折り演武の写真は、大変お世話になった三智商事の市毛社長。

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(第七回大会)
極真空手家は密林の勇者…虎です。

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極真カレンダー

懐かしいグッズ。
極真の全日本空手道選手権大会の会場で、試合の合間をぬって買い求めた戦利品。
あの当時、たぶん1000円で購入しました。
とてもじゃないが、壁に掛けて破り捨てるなんてできなかった。
デットストックです。


(昭和58年)
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(昭和59年)
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(昭和60年)
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( 昭和61年) 
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(昭和62年)
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(昭和63年)
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(平成元年)
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(平成2年)
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絵で書いた日本人論

色々と片付けをしていて懐かしい本を見つけた。
二十歳の頃に読んだ、ジョルジュ・ビゴーの風刺画を集めた本、
「絵で書いた日本人論」です。
僕と同世代なら歴史の教科書で目にしたのを覚えているかも知れません。

明治時代、ちょん髷を切り刀を捨て、鎖国を解いて西洋の最先端の文化を手にした東洋の最果ての国で暮らす日本人、チビで出っ歯でつり目の貧相なほんの130年ほど前の日本人。
余りにも今の僕たちと風貌が違うがそれは貧しい食生活にあったのだろうか?我々日本人も随分カッコ良くなったものだ。

ビゴーはこの愛すべき奇妙な日本人に深く興味を抱き風刺画に書き留めてゆきました。
社会規範も価値観も違う。
貧しくとも善良で、好奇心旺盛で勤勉で優秀な東洋のどの国とも違う文化を築き平和の中で暮らしてきた日本人。
そしてあっという間に西洋の列強と肩を並べるほどの軍事大国となった日本。
遠くフランスから来たビゴーの目にはどう映ったのだろうか?
見るもの全てが驚きだったのだろう。



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(正装の貴族)
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(ふんどし姿の紳士)
ふんどし…ダンディーな男



(貸し自転車で遊ぶ若者たち)
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(朝鮮を取り合う大国ロシアと日本)
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「空手バカ一代」の研究

梶原一騎原作の「空手バカ一代」を隅々まで読み尽くし研究しデータを収集し書き上げた本です。
らしいです。
昨日届きました。
まだ読んでいません。
これから読みます。

空手バカ一代は極真空手のバイブル
そのバイブルを補填すべく沢山の大山倍達館長の著書群があります。
更に極真を取り巻くムック本。
そこに描かれる大山館長の生き様哲学武道論それは仏教における膨大な法典のようです。

バイブルはイコール「神話」です。
空手バカ一代は極真空手にとってのまさしく「神話」
キリスト教徒は聖書を支えに生き極真教の信者は何の疑いもなくこの神話を信じます。
我々にとっての心の支えです。
これがあるから辛い修行にも耐えることができるのです。
勿論他宗教(他流派)にとっては嘘のかたまりであり邪教の偽書そのものかも知れません。
そんなもんです。

旧約聖書、新約聖書…みな神話です。
神話があるから国が成り立ちます。
日本国には「古事記」はじめ偽書として名高い「竹内文書」等々。
歴史が長いだけに沢山の神話群が日本を取り囲んでいます。

エジプト神話は有名で数々の神々が登場します。
とても人間臭い神々で面白い。
古事記に登場する神々も負けてはいない。
この本を読み終えたら今度は古事記だね。



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極真空手大会の原点

記念すべき第1回オープントーナメントのパンフレットの一部。
極真空手の大会の原点です。

昭和44年(1969年)
9月20日(土)
午後3時から午後8時
東京体育館で開催
参加選手64名
種目 組手と試し割り

空手界にとって革新的な大会。
世の中を騒然とさせたルール。

ノックダウン制や試し割りの採用、そして型試合をしないことについての説明。
コンセプトがしっかりと示されている。
大切なことです

今更ながらそうだよなぁ。

時代を先取りしており未だ古びていない。
さすが!大山倍達。



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二つの復刻本

「日本傳流兵法本部拳法」
平成5年刊(大正15年頃出版)の復刻本。
面白そうな本だと思い購入した。
どれ程かなと!
期待したのですが残念でした。

文字が読みづらい。
昔の本をコピーしたらしい。
箱入りでとても立派な作りなのですが、残念ながら掠れていたり文字が旧字体であったり。

著者の本部朝基氏は沖縄空手(琉球唐手)
実戦的でとても強かったらしい。
ボクサー他との試合にも勝利しているという。
晩年好んだ型は「ナイハンチ」
型は「ナイハンチ」だけで十分だという。
この本にも「ナイハンチ」の説明とその実戦的応用を中心に空手全般を記している。
でも如何せん復刻の仕方が雑である。

もう一つ氏の著書の復刻で「本部朝基と琉球カラテ」平成15年刊がある。
大正15年出版の「沖縄拳法唐手術」と昭和7年出版の「私の唐手術」を併せて掲載しており写真文字とも綺麗に復刻している。
そして両復刻版は内容も重複しており後者を熟読しています。
そしてこの本に掲載してある氏の「ナイハンチ立ち」
今は極真他派でも指導体系に取り入れている「ナイハンチ」であるが全く違う。
勿論松濤館や剛柔流とも違う立ち方
現在行われているナイハンチは歩幅を広くとり腰を低く落としているのが一般的であり、所謂「騎馬立ち」だ。

本部朝基氏の「ナイハンチ」は変に歩幅を広く取らず腰も落とし過ぎない。
この立ち方に限らず昔の空手の立ち方は「基本イコール実戦」の技術だったのだろう。
そのことが垣間見える写真。

「足腰を鍛えるために腰を落とす」などという眉唾な説明など必要ない
そりゃそうだ。
足腰を鍛えるなら鍛え方が別にある
極真空手もだんだん歩幅が広く腰を落とす立ち方が一般的になってしまった。
立ち方が違えば型の実戦性も歪んでくる。
見た目は綺麗だけどね
でもねぇ…
空手は見た目の「様式美」から抜けだし本当の型を再構築すべきです。

という感想文です。


本部朝基


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武道のことば

PHP出版社編のこの本。
様々な武道家、武将等その道の達人名人と言われる人たちの生涯を通して摑んだ技術的な精神的なそして思想的な境地をそれぞれの残した言葉や書物をもとに編纂された。

その中にはもちろん我が大山倍達の言葉もたくさん掲載されている。
その一つ「点を中心に円を描き線はこれに付随するものなり」

これは大山館長が厳しい修行の末到達した極真空手の真髄であるがこの書には幾人かの武術家が円について言葉を遺している。


特に柔道のような組技体系の武術に円の理論が多く残されている。
極真の大会では接近しもつれた状態を排して久しいが大会以前の大山極真空手は総合的な戦いを前提に組み上げられてきた。

「空手の定義」が単なる審査会での模範解答の一つとしてしか認識されていない現状。
僕は反省します。


円の理論
回し受け
掛けてからの攻防
構え
立ち方

大会に使えない古い技術だからと軽んじ形骸化しスポーツ化した。



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蘇る伝説「大山道場」読本

極真空手創成期空手普及の為世界を遠征多忙の中、道場指導を縁ある剛柔流の指導員に任せていた時代。

南本という指導員は大変実戦指向の組手で、顔面は平手で当てる直接打撃頭突き肘打ち裏拳そして投げも行う。
その最古参の指導員の時代から時は移り道場生が増え大会が重ねられる過程で実戦性が薄れ大会用の技術が何の疑いもなく極真空手の組手として定着していった。

顔面攻撃と投げが禁じられれば安全性が高まりサラリーマンも安全に空手を楽しめる。
でも現在我々指導員でも路上のケンカに自信はない経験だってない。
良いのかなこんなことでと疑問の嵐の中での創意工夫想像の中での実戦の研究役に立つのかたたないのかも想像の域を出ない中での暗中模索が続く。

この本を読むとその頃の道場の空気と今の空手との違いに驚かされる。
伝説の大山道場…強いはずだ天下無敵だ!




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大子道場の紹介
・所属:極真会館茨城県支部
 桝田道場  桝田博支部長

・大子道場開設 平成12年
 責任者 蛭川浩 段位三段




稽古時間
・火曜日 …(19:00~20:30)
 一般部、少合同合同
 
・木曜日 …(19:00〜20:30)
 一般部、少年部合同
 
・土曜日 …(18:00~19:30)
 一般部  単独稽古




ご入会のお問い合せ
・問合せ先:責任者 蛭川浩

電話…090-5410-2953まで

・中央公民館裏側 柔剣道場

※見学希望の方、ご一報を!



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