何故なのか極真空手から派生した団体、会派は、大会ルールに空手技術の理想が有るかのように考えている節がある。そして実戦とは、顔面突きと金的攻撃だ、と。

古く極真会館から袂を分かち新たな流派を立ち上げた師範たちも、大山総裁率いる極真会館との違いを明確にしたいがためか、掌底による顔面攻撃を採用したり、スーパーフェイス着用による顔面攻撃と投げ有りのルール、さらにはポイント制とノックアウト制をミックスした大会。様々な模索があった。

極真会館の基本や稽古方法はこれ以上変えようがないほど洗練されていると思う。
欠点は大会ルールにあります。
「顔面突きと掴みの禁じ手」という極真大会ルールの欠点を大山総裁も分かっていたことだと思う。
しかし、新たに考案されたいずれのルールも極真ルールほどの完成度ではなかったと僕は思います。
つまり、我々が日々積み重ねている「空手の稽古」を活かすルールとしては極真ルールを廃してまで採用すべきものはまだ発明されていない。
さらに言えば、投げや関節攻撃を採用し、グローブ着用までいけば、それは空手の技術体系から大きくはみ出してしまい、道場以外の柔道、ボクシング、サブミッション系の格闘技も学ぶことになる。
「それは空手?」
強さだけを求めるなら空手である必要もなくなる。

大山総裁が生前言っていたことの一つに「空手は素手で戦うものだ。」ということ。
「空手家がグローブをつければキックボクシングになる。」
昔から言われているこの言葉が全てを表しています。

大山総裁は極真空手の大会ルールについて発言しており、「完璧のルールではない。70点程度だ。」と。
残り30点の足りない部分を道場で稽古することにより武術としての空手が完成すると解釈することもできる。

安全性を考慮してルールを作る以上、完璧はない。
そして、大会で勝つためには大会ルールに則した戦い方を研究する。
これは必然であり、その行き着く先に空手の武術としての理想が見えるのであればそれで良いのだが…
でも、大会ルールに理想を求めるのは無理がある。必ずルールに飲み込まれる。

古武術や合気道などルール無しの実戦の技術を求めているところでは大会は開かない。
ルールは相手に怪我をさせないためにある。武術の理想の真逆にある。
どんなルールであれ選手は勝つためにルールを利用した戦い方になるのは否めない。ルールの限界です。

だから、冷静に考えて、手前味噌でも何でもなく、安全性や精神力や戦いのコツ、さらに充実感、達成感…
やはり「初期の極真ルール」が僕は好きだな。


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