空手を学ぶには、投げかけられた言葉、目に映ったもの、身体で感じたことetc…
これらを自分の中に一度落とし込む作業が必要です。

・押忍の精神
◯◯をしなさい。
 →いいえ、できません。
これは武道の思考ではない。
そこに「押忍」の大切さがあります。
ちょっと難しいと思っても即座に否定せず、努力による可能性を探るべきです。
更には、その難しい投げかけの真意を考えること。
特にそれが師から弟子への言葉である場合、その裏に重要な意味が込められていることがあります。
立場のある人は、目先ではなく大局をみて、つまり全体の状況や相手の本質を見据えて言葉を投げかけるものです。
短絡的思考はそこを見落とします。

・道場の見取り稽古
見取り稽古とは、手とり足取りの受け身ではなく、道場の隅に正座し、師あるいは先輩の動作をしっかりと見て自分のものにする時間です。
だから休憩時間ではない。「技を盗む」大切な時間です。
これが今は忘れ去られた感があります。
「見て、覚え、疑い」ながら自分のものにするのが武道の伝承です。
型を学ぶにしても、ユーチューブで探せば教材は簡単に見つかります。
それで型を覚える。
僕らの時代はビデオを見ながら型を覚えることもありました。
型の順番を覚えるのはそれで良いと僕は思います。
ただそれでは表面的なことしか学べない。必ず詳細な技術は道場で指導を受けることが必要です。

・大子道場ブログ
あまりの反響のなさに心も萎むのですが、アップした内容は稽古の副読本だと理解して欲しい。
例えば、基本や型稽古に否定的記述がありますが、言葉そのままに理解されることは不本意です。
空手の稽古には「疑う心、深く探る思考」が大切です。文を書く際、言葉を探し選んでいます。何度か書き換えながら拙文ながらも伝える工夫をしています。
道場生はその言葉の奥を探って欲しい。
現状は反応がなく独り言で終わっている。ブログ上でも道場でもいい。「あれは、どういう意味ですか?」そういう問いかけが欲しい。

大子道場は堅苦しいね。

(大山道場時代の道場訓)
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