振り返り思うことがある
それは教えすぎたな!
という反省です
自分が指導を受け又は稽古の中で気づいたことをできるだけ次の世代に伝えていきたい
その思いの結果として道場生の可能性を削いでいたことに気がついた
丁寧に教えれば「形、姿」は上手になる
が中身が何も入ってない
端的に言えば、「あぁ、空手はこんなものか」
動作が身につけばそれでお終い
もっと深く掘り下げて初めて掴めるものがあるのだがそこまで行かない
大山館長の試し割で有名なものに「自然石割り」があります
今では殆どの有段者が行えます
しかし大山館長がそのコツを掴むまではとても難しい試し割りでした
それを死に物狂いの修行の末そのコツを身につけた
お陰で我々も小さな石であれば割ることができるようになりました
「なーんだ!こんなもんか!」
「簡単じゃないか!」
しかし大山館長はそのことを「コロンブスの卵」の例えで反論しました
そのコツを発見するまでにどれほどの修行をし考え苦しんだことか
僕ら凡人には計り知れない
その結果掴んだものは単に「石割りのコツ」だけでない
様々な大切な経験を積んだことと思います
つまり空手のコツを簡単に教えるということはその大切な経験を奪ってしまうことでした
僕はそのことに気づきませんでした
大きな失敗でした
もう教えません
考えてください
ワン・ツー・スリー
号令だけかけます
(大山館長の自然石とレンガ割り)
昇段審査の模様も出てきます
今のような審査組手ではない
ガチンコで戦っています
僕が入門した頃、土浦道場の方(長身の学生だったかな?)が何度か昇段審査に臨んでいたのを印象深く覚えています
10人組手でボロボロにされていました
何度か黒帯目指して審査に臨んでいましたが、僕の目にはどうして昇段できないのか分かりませんでした
師範にそんな話をしたことがあって、その答えが「俺も若かったから…」だそうでした
結果、合格したかは不明ですが…壮絶でした
それは教えすぎたな!
という反省です
自分が指導を受け又は稽古の中で気づいたことをできるだけ次の世代に伝えていきたい
その思いの結果として道場生の可能性を削いでいたことに気がついた
丁寧に教えれば「形、姿」は上手になる
が中身が何も入ってない
端的に言えば、「あぁ、空手はこんなものか」
動作が身につけばそれでお終い
もっと深く掘り下げて初めて掴めるものがあるのだがそこまで行かない
大山館長の試し割で有名なものに「自然石割り」があります
今では殆どの有段者が行えます
しかし大山館長がそのコツを掴むまではとても難しい試し割りでした
それを死に物狂いの修行の末そのコツを身につけた
お陰で我々も小さな石であれば割ることができるようになりました
「なーんだ!こんなもんか!」
「簡単じゃないか!」
しかし大山館長はそのことを「コロンブスの卵」の例えで反論しました
そのコツを発見するまでにどれほどの修行をし考え苦しんだことか
僕ら凡人には計り知れない
その結果掴んだものは単に「石割りのコツ」だけでない
様々な大切な経験を積んだことと思います
つまり空手のコツを簡単に教えるということはその大切な経験を奪ってしまうことでした
僕はそのことに気づきませんでした
大きな失敗でした
もう教えません
考えてください
ワン・ツー・スリー
号令だけかけます
(大山館長の自然石とレンガ割り)
古い映像です
昭和58年(1983年)
極真空手の魅力が分かると思います
バット折りは本物の硬式野球用のバットです
(試し割り用のバットではない)
昭和58年(1983年)
極真空手の魅力が分かると思います
バット折りは本物の硬式野球用のバットです
(試し割り用のバットではない)
4分38秒あたりから廬山初雄氏(現極真館館長)の自然石割りがあります
陰で聞こえる大山館長の言葉が良い
諦めようとする廬山氏に
「もう一回、もう一回」
「これが割れなかったら明日から飯が食えないと思え!!」
「割れないという精神を持つな」
廬山氏がアナウンサーに
「この材質は硬いんです」
というと
「そんなことは余計だ」
と大山館長
良いですね!
陰で聞こえる大山館長の言葉が良い
諦めようとする廬山氏に
「もう一回、もう一回」
「これが割れなかったら明日から飯が食えないと思え!!」
「割れないという精神を持つな」
廬山氏がアナウンサーに
「この材質は硬いんです」
というと
「そんなことは余計だ」
と大山館長
良いですね!
昇段審査の模様も出てきます
今のような審査組手ではない
ガチンコで戦っています
僕が入門した頃、土浦道場の方(長身の学生だったかな?)が何度か昇段審査に臨んでいたのを印象深く覚えています
10人組手でボロボロにされていました
何度か黒帯目指して審査に臨んでいましたが、僕の目にはどうして昇段できないのか分かりませんでした
師範にそんな話をしたことがあって、その答えが「俺も若かったから…」だそうでした
結果、合格したかは不明ですが…壮絶でした
あの頃はまだ県大会がなかったため、道場での組手も審査会での組手も全てが実力を試す戦いの場だったのでしょう
今とは違います
今とは違います