極真空手 茨城大子道場

  Love&Freedom そのために…

2017年08月

経験・どうしたら・積み重ね

極真空手の強さは経験の豊富さにある
大会経験を積んだ有段者なら首から下の攻撃に対しどのようなパターンの攻撃でもかわす自信があるのではなかろうか?
問題は顔への攻撃対処にある
正直なところまだまだ経験が足りない
もっとスパークリングでの積み重ねが必要である
ボクサーはグローブパンチに対する防御は素晴らしい
でも空手の蹴りに対してはやはり戸惑うのではないだろうか?
何でも個人差はあるけど結局は経験の積み重ねしかない
武術である以上限定されない攻撃に対するノウ・ハウ
それを技術として次代に伝える大切な仕事が残されている
実際に殴り合いの経験は豊富なのだから上段攻撃だってすぐに解決できる
極真空手の大会は顔面攻撃が無いので出会い頭のまぐれ勝ちはめったにない
寸止め空手スタイルで実際に相手をノックアウトするルールがあったならば出会い頭の勝利が多いのではないかと思う
・相手を叩きのめす本当の強い攻撃
・それに負けない強靭な肉体
・戦いを諦めない精神力
それら実戦に不可欠な基礎的要素を養うには極真ルールは最適ではないかと思う
極真ルールは70点程度
と生前の大山館長の発言を思い出す
防具空手でも寸止め空手でも何でも好きなものをやれば良いと思うけれど極真ルールの残り30点を積み重ねる努力の方が現実的かなぁ…と!
僕は思います
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あれから何年?

平成6年(1994年)まさかの拳聖大山倍達の死去
遺言状を根拠に2代目館長に松井章圭が就任
1年を待たずに分裂した
松井館長の独断で
・極真会館のあらゆる名称、マーク等を秘密裏に勝手に松井個人名で標章登録(収入全て松井個人に…ドロボーだよね)
・それまでにはなかった全道場生から毎年年会費を1万円徴収
・色帯にオレンジ帯を新設、昇段までに2級増やしたり
全くお金儲けも天才的な松井館長
多くの支部長が反対するのは当たり前のこと
見事に極真会館は壊れてしまった
我が茨城支部桝田道場も例に漏れず松井派による指導員の引き抜き工作が始まった
古河道場(鴨志田)
水海道道場(毛塚)
鴨志田は松井派の常総支部長に就任
桝田師範から離れていった
考えてみてください
大子地区道場の責任者の僕が明日から急に茨城支部長として県のトップになってしまう
技術も人格も桝田師範の足元にも及ばない僕が支部長だって!
誰もついてこないし社会的に認められるのはおかしなこと
だって、師範を裏切っているんだからねぇ!
武道の世界で師を裏切ることは家来が殿様に切りつけることと同じ
ところがその裏切り者が「先生」になってしまういい加減な世界
それが武道の世界であり世間の常識からは大きく逸脱している
桝田道場では松井が行った
・年会費1万円
・オレンジ帯の新設
一切取り入れなかった
お金儲け以外の必然性が考えられないからだ
でも他県に比べ茨城支部桝田道場の被害はとても少なかった
ほとんどの地区責任者が桝田道場から離れなかった
それはみんな桝田師範の直弟子だから!
大山館長の孫弟子の自負もある
桝田道場はまとまっている
裏切り者の寄せ集めではない
指導内容も充実している
みんな30年以上の空手歴、経験に基づき指導に当たっている
桝田道場の欠点は一つだけ
お金儲けがへたくそ!
です
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鬼ごっこと極真空手

稽古のあとに鬼ごっこの鬼にされる
何故子ども達はあんなに鬼ごっこが好きなのか?
そして今の鬼ごっこルールも色々あり難しい
齢56を迎え鬼ごっこをやらされるとは若い頃には想像もしなかった
でもまだまだ子ども如きに鬼ごっこで負けはしない
スタミナ、スピード、そして戦略
全てにおいて彼らに負けない自信がある
この時ほど極真空手を続けてきて良かったと思うことは他にない
空手の呼吸法があれば呼吸はすぐに回復する
空手の運足法の応用ですぐに追いつく
我が愛猫たろきちから盗んだ猫族の狩猟法
負ける訳がない
それにしても極真空手の功罪は各方面で論じられるが極真空手と鬼ごっこについての論は目にしたことがない
空手の攻防研究にとても重要な要素がこのたわいない鬼ごっこから学べること
Sさん、いつもクールに眺めてないで一度輪に加わってみてください

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基本動作雑感

この春の審査会で初段に昇段したSさん
基本から移動、型稽古までの1時間の枠を任され指導法を学んでいる
指導は「積み重ね」しかありません
最初は僕の指導を真似れば良い
そのうちに飽きて来るから徐々にアレンジしてください
僕はこの機に自分自身の基本動作の見直しに夢中
立ち方、重心、呼吸、動作、姿勢…
長いこと指導で目を外にばかり向けていると知らないうちにおかしな癖がついてしまう
ある程度は自覚しているつもりでも第3者の目が欲しいところ
先日の夏季合宿で皆で「足技太極」の稽古をしていた
自分ではしっかり基本動作を意識して動いていたが
稽古後、桝田師範から「前蹴上げが中心を蹴っていない、曲がっている」との指摘を受けた
そんなことは無いはず…
全く、「自分の姿は見えない」ものである
僕はよく師範から基本の乱れを指摘される
何故?言いやすいのかな?
でも欠点を指摘してくれる師がいることは幸いなこと、とつくづく思います
蹴りの軌道がズレる原因として、足首の故障と柔軟性の劣化が考えられる
身体が意志どおりに動かなくなって初めて初心者の気持ちが分かる
指導も丁寧になる
のかな?
空手は立ち方、歩き方、攻撃、防御の全てに基本に忠実か?が重要視される
他の武術ではここまで細かく見るのだろうか?
あまりに基本重視も如何なものか、基本が下手でも強い選手は沢山いる
基本の質=実戦力
であれば良いのだがそうとも限らない
基本って何?
実戦を知らないから基本ばかりという指導者もいるのではないか?
特に空手は「神秘の武術」
本気で当てたら死ぬ
などと言いながら型ばかり行っていたのが今の寸止め空手ではなかったのかな?
その嘘を世間に知らしめたのが我が極真会館主催の「第1回全日本空手道選手権大会」
殴っても蹴っても人は簡単には倒れない
命に係わる急所「脳」を守る事さえ怠らなければ十分に直接打撃の試合ができることを証明し実践した
まさに革命的大会だった
実戦に使える基本の研究の末にあるのが極真空手の基本
たびたび寸止め空手から「極真空手は基本が下手だ」とのご指摘を受ける
実戦に使える基本と使えない基本
この差であることに彼らは気がつかないらしい
……等々
基本動作雑感でした
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100年後の世界

極真会館は大山館長が亡くなり瞬く間に崩れ去った
本来、2代目館長など誰でも良かったはず
意志を一つに進めるなら
人は欲のかたまり
特に才能に溢れる者ほど
誰もが組織の頂に立ちたく謀反を興す
遺言状が裁判で却下された…
大山館長の意志に添わない運営だ…
奥さん始め館長の遺族を守るべきだ…
それぞれの正義を振りかざし結局バラバラ
無数の極真会館が出来てしまった
僕は信じない
組織の言い分など
大山館長存命中に「平安Ⅰ~Ⅴ」「安三」「足技太極Ⅰ~Ⅲ」
各地区で微妙に異なる部分があった
極真空手を築き上げた大山館長の責任で型の全世界的統一を図ったはず
それなのに亡くなって何年も経ず勝手に型の変更を始めた
それも武術の理に適っていない改悪を進めた
それぞれの極真会館のトップがそれぞれの言い分で…
会議で通知され講習会で伝授され
そして各道場に浸透させよと!
道場生には極真空手を教える
訳の分からない「派」の改悪を教えるわけには行かない
どうせまた代表が変われば改悪が繰り返される
そして極真空手は大山館長の理論から離れていくばかり
極真空手を末端で伝える我々指導員は組織におもねってはいけない
へつらってはいけない
僕が道場責任者である以上は正しいと信じれることだけ教える
我々はもっと遠くを見つめるべき
100年後桝田道場も松島派も極真会館もこの地にはないだろう
残るのは「空手」だけ
だから目先のしがらみなどどうでも良いこと
僕は組織のために改悪された空手はやらない
後に続く者には理解して欲しい
覚悟して欲しい
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枯れた技


技が枯れるとはどういうことなのか?

若い頃、この言葉を「年を取りパワー・スピードが落ち実戦力も低下してしまってもそれまで培ってきた技は残り見る者に感動さえ与える」「大木が枯れ枝葉が朽ち落ちても大木となった幹は悠然とそこに存在する」
てなイメージに理解していた。

自分が段々その年代に近づき時々考えることがある。
僕が中学生の頃から愛読しているヒーロー「星新一氏」
31歳に作家デビューし70歳でなくなるまでに発表した作品群。
若い頃の作品は誰が読んでも分かりやすく面白さで裏切られるようなことは無い。
作風は年と共に変わりつつも40代を過ぎてもとにかく面白かった。
それが50歳を過ぎ、ショートショート1000作のカウントダウンが始まる頃になると「もう書けないよ」と弱音を吐くほど作品発表がペースダウンする。
ただ、作品の質を下げてまで発表する作家ではない。
ここで大きく作風に変化が現れた。
彼の書く小説はショートショートと言われ他の長編、中編小説に比べもともと無駄がないのが特徴であるが、その頃からさらに無駄な表現はそぎ落とされ登場人物は脚色装飾がなくなり、時代背景も国も判別できない、いわゆる寓話としての特徴が顕著になってきた。
この頃になると、もうその作品の良さ、凄さは長年愛読してきた読者でさえも理解できない境地に入っていったのではないか?
彼の作品はギリギリの瀬戸際の苦しみで更に上のレベルに昇華したように思えた。

僕は武術もこれと似たようなことが起こるのではないかと密かに期待しながら痛む腰・膝・肘・足首に鞭うちながら僕は空手を続けている(カッコつけすぎ?)
空手の生命、究極は「スピード」にあると思う。
身体は筋肉の連動で動きます。
歳と共に筋力が衰えれば勿論スピードも出せなくなる。

でもそこは世界に誇れる「日本の武術」
筋力に源を求めない突き・蹴りの極意が有るのではないか。
そしてもう一つが技の連携。
若い頃はいくつもの効果的コンビネーションを模索した。
これも使えないものはどんどん捨ててきて今はほとんど残っていない。
そぎ落としてきた。
そして元来、空手にはコンビネーション的考えは不要なのではないか?
との結論に近づきつつある。

今56歳。
終わるまでに「枯れた技」にどこまで近づけるか。
いつまで早い蹴り、突きが出せるか…


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飽きたから

茨城県大会を第1回大会から第9回大会まで
第2回と第8回を都合で出なかったが計7回出場し引退した
31歳だったと思う
今は40代の出場者が珍しくないがあの頃30過ぎは引退の年齢だった
師範からも「まだ出るの?」と聞かれショックだった記憶がある
もともとあの殺伐とした空気が好きではなかった
勝ち上がるためには何試合もこなし身体はボロボロになるのは必至
翌日の仕事にも影響が
でも指導員だから出ない訳にはいかない
先陣をきるのが我々の義務と思っていた
大会経験は貴重だった
実戦のカンを養った
勝つため強くなるためとにかく試行錯誤した
実戦に必要な体力を養った
戦い方を研究した
怪我をしない受け
効果的な攻撃
翌年の県大会のため1年をかけ研究し稽古した
大会前3ケ月は毎日、休日も道場で稽古した
1日8時間稽古したことも
青春だったね
そして第9回大会で引退した
身体能力の高くない自分には県大会が限界だった
それに
極真ルールの大会に飽きている自分がいた
顔面攻撃なし
掴み投げなし
のルールで
結局ストリートファイトで勝つ自信が無かった
それからしばらくはルールの呪縛に苦しんだ
大会での戦い方に縛られている自分に…
僕の考えでは大会ルールは戦い方の初歩を学ぶにはこれ以上のものは無い
問題は次のステップをどうするか
それを今試行錯誤している
(失敗)
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大子道場の紹介
・所属:極真会館茨城県支部
 桝田道場  桝田博支部長

・大子道場開設 平成12年
 責任者 蛭川浩 段位三段




稽古時間
・火曜日 …(19:00~20:30)
 一般部、少合同合同
 
・木曜日 …(19:00〜20:30)
 一般部、少年部合同
 
・土曜日 …(18:00~19:30)
 一般部  単独稽古




ご入会のお問い合せ
・問合せ先:責任者 蛭川浩

電話…090-5410-2953まで

・中央公民館裏側 柔剣道場

※見学希望の方、ご一報を!



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