極真空手 茨城大子道場

  Love&Freedom そのために…

2016年10月

空手における型の意味

極真から派生した大道塾は格闘空手を標榜し型を捨てた
芦原空手は捌きの技術を体系立て独自の組手型を考案した
そのほか極真の影響を受けた実戦空手団体は型を時代遅れの遺物とし捨ててしまったところが多いのではないか?
ここで真逆の考えだったのが大山館長
寸止め空手では本当の実力は計れない
直接技を当て勝敗を決するべきだという考えのもと発足した極真会館
なぜ「極真会館」なのか「極真流」ではないのか
大山館長は、今後、日本は世界の強豪たちと戦っていかなければならない。そんな時代に小さな流派に固まっていてはいけないとし、真に強さを追求する団体を設立すべく「極真空手」をたち上げた
だから極真空手は流派ではない
団体であるから「極真会館」とした
そんな実戦空手の元祖、大山館長は「型」を否定したことはなかった
「型の大会」を否定した
この点が重要である
「型は空手にとって大変重要な稽古方法の一部である、が全てではない」
その空手の稽古法の一部に過ぎない「型」を「組手」と同格に位置づけ、殴り合う組手を否定し、型が空手の真髄であるかのごとく神秘化し、さらに点数をつけ競うあうことに対し痛烈に批判した
当時、主流だった寸止め空手に対する批判である
大山館長の型に対する考え方は、
”空手の稽古の一方法であり、基本的動作、立ち方を学ぶ”
”先人の空手に対する精神を継承する文化財的な意味”
主に以上の点をもって「型稽古」は極真空手の技術体系の中でも重要な位置を占めている
ただ、昨今の少年少女たちや高齢者の空手人口増加に伴い、「型大会」のステージを用意し、技を競い合う場としての型大会は我が桝田道場でも行っており、全体の技術向上には一定の成果を上げている
決して悪いことではないと僕は思う
ただ、今後益々型大会がレベルアップし、些細なミスを減点したり、審判にアピールするためのデフォルメされた動作が試合の結果に加点されるとなれば、型は空手にとって何の意味もないただの「空手ダンス」になる危険性がある
空手の修行体系のなかで
・道場稽古
・組手大会
・型大会
がバランス良く行われるのであればとても良いことだと思う
我々指導者は型大会で優勝するためのテクニックを指導するのではなく、組手大会で抜け落ちている技術を型稽古を通して補完するという点を忘れてはならないと思う
僕の個人的考えですが、型大会のレベルは今程度で十分
寸止め空手の優勝者の型のように「カッチカチに力を入れ、一部の隙も無く、表情は般若の面」のような、そんな型は実戦には何の意味もない
あのようになってしまったら極真空手の型も終わりです
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冬が…

寒い季節がやってきます
関東だけど茨城県の北部の町
大子町は夏は暑く、冬がとっても寒いので有名(雪はあまり降らない)
結構名の知れた、袋田の滝のあの水が凍ります
川を「しが」と呼ばれる、オホーツクの流氷を小さくしたようなシャーベット状の氷が流れます(これは、北海道と大子町だけに見られる珍しい現象だそうです…)
板の間を裸足で稽古する空手はちょっと大変
同じ施設を曜日違いで借りているスポ少(空手協会)は真冬はいつも暖房のある会議室で練習している
なんて軟弱な!でもまあ、寸止め空手だからしょうがないよね
我らは極真、泣く子も黙る極真戦士!
寒さなんて!
この厳しい寒さの中で育まれるものもある、はず
みんな、稽古に集まれ
少人数だとなおさら寒いんだ!!
(しが)
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(凍結した袋田の滝)
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(年に数回だけど雪も降る)
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不老不死の妙薬

年を重ねれば重ねるほど強くなる
20代の頃、そのような拳法に漠然と憧れていた
太気至誠拳法の澤井健一氏のような……
極真空手の高弟たちに対し「自由に技を掛けてきなさい」と言いその攻撃に対し信じられないような動きで対応
「空手やキックボクシングの動きには無駄が多い、年をとってもその動きができるのか?」
と言い、自分の拳法の優位性を説いた
それに対し、「年寄り相手に本気で攻撃など出来ない、その技を返しただけだから驚きに値するものではない」
と大山茂師範は批判していたようだ
僕もいつの間にか年を重ね体力の衰えに悩んでいる
年を重ねても衰えない強さとは「不老不死の妙薬」を探し求めるようなものだと今は思う
いくら稽古を怠らず鍛錬しても肉体各部位の経年劣化は防げない
心肺機能にはまだまだ自信がある
でも、ちょっとしたことで筋肉や関節を傷める
だんだんガムシャラな稽古が出来なくなる
これが自分の限界、これが現実です
年老いても若い人と同じに戦えるほど極真空手は甘くない
合気道なら触れたとたんに相手が何故かに吹っ飛んで行ってくれる
が、極真にそんな優しい奴はいない
先生だろうが先輩だろうが、いざ戦いになった時は本気で戦え!というのが大山館長の教え
鬼のように強かった大山館長はじめ多くの高弟たちも自然の摂理に従い順番にこの世を去っている
澤井健一先生も然り
限りある人生
だからこそ精一杯生きなきゃね!
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なんだか?

何故この歳まで老体?にムチを打ってまでして空手を続けているのか
才能あふれ、持てる技術をしっかり後世に伝えることを社会から求められているならまだしも、空手が上手くて強くて才能溢れる人材は他にたくさんいるのに
出世欲も金銭欲もどこかに置いてきて、気が付いたら職場の同期はみんな偉くなっていて
よくよく考えたらバカみたいだなと思う
勝手に指導者になって、道場生が増えない、稽古に来ない……
そんな心配ばかりして、社会的に成功していれば、家族にもっと贅沢させられたのに、娘に高級車買ってあげられたのに、立派な家を建てたり、美味しいもの食べさせたり、旅行にいったり
あぁ!ホントにバカなお父さんだなと落ち込むことがある
なんだろねぇ……
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ひとつの考え方

例えば組手
極真ルールで組手をする際、
上段への廻し蹴り、中段前蹴り、中段廻し蹴り、下段廻し蹴り、中段突き
それぞれに対し、一番確実に対処できる受け方を採用しスキが生じないようにする
・突きや前蹴りに対しては、外受け、押さえ受け、下段払いを用いる……手を扇風機のように回しながらの廻し受けは上段廻し蹴りがヒットしやすくなるので使わない
・中段廻し蹴りに対しては、肘で受ける……下段払いで横に捌く方法では捌ききれない
・下段廻し蹴りに対しては、脛受け、膝受けを用いる(ただし、膝受けを多用すると将来後遺症の恐れあり)
・帯から下の攻撃は足で受ける
・構えは、半身で構え、できるだけ手は動かさない……相手の攻撃に過剰反応し動かしすぎるとスキが生じる
と、このように単純化して対処すれば反応も早くなり、怪我も少なくなる
複雑な攻撃に対し単純化して対処する
組手のコツです
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清濁併せ呑む

例えば、子供は嫌いだ!
という文を載せる
ちょっと衝撃的な内容、伊武雅刀のパフォーマンスも真に迫る
良識ある諸兄は「何という不謹慎なことを…」
でもね、空手を修めんとするならば、言葉や見た目に騙されてはいけない
子どもは嫌いだという詞の裏には子供に対する深い愛情がある
愛情がなければあんな詞は書かない
昔、水戸道場時代、2歳年上の後輩がいた
彼は、とても稽古熱心であり茶帯まで昇級した
もう少し頑張れば昇段も出来たのではないか、というところまでいっていた
が、ある日突然、空手を辞めると言ってきた
その理由が、
「ある宗教を信仰していて、教えでは、暴力はいけないから…」
僕は、
「はぁ!?そうなんですか???」
びっくりした!
今更、茶帯を締める今まで、そんなことを自己解決できないまま空手を続けていたのかと…この法治国家で、武術を修める意味は何なのかを
稽古の中で、「一撃必殺」などという物騒な言葉を平気で使っているが、他人を殺めるために空手を学ぶはずがない
彼は、道場を去っていった
空手の「型」を理解するには裏を見抜く「目」が欠かせない
表に表れた形が「受け技」に見えても、実は「攻撃技」であったり「投げ」であったりすることも多々ある
見抜く目がなければ、いつまでも馬鹿正直に表に見える形だけの解釈で稽古を重ねる
達人には一生なれない
見抜く目を鍛えるには、普段からの練習が必要
見た目に惑わされない
言葉に騙されない
言葉の裏を読む
本を読んだり芸術を鑑賞したり酒を飲んだり遊んだり旅行したり喧嘩したり怒ったり泣いたり笑ったり
綺麗なものも醜いものも一度同じテーブルに並べて観察する
道場で指導にあたる
様々な入門者がいる
特に子供の扱いはデリケート
デリケートとは、優しく対応することではない
心の中を見抜くこと、心の闇に気付くこと、育ち方は様々
何気ない言葉で傷つく子、ひょんなことからやる気満々になる子
ちょっと意味は外れるかもしれないが「清濁併せ呑む」度量が求められる
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強くてやさしい王子さま

”親の心子知らず”
”子の心親知らず”
の文を載せましたが、でも、やっぱり分かってないのは子供の方だ!
子は親の深ーい愛情にどっぷり浸かって大きくなったのに…
僕が空手を始めた翌年、青春真っ只中の22歳、伊武雅刀の曲「子どもたちを責めないで」がヒットした
「私は子供が嫌いです 子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で 前向きな姿勢と 無いものねだり 心変わりと 出来心で生きている 甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする…」
作詞は秋元康先生
本当にそうです!
秋元先生は子供の身勝手さをしっかり見抜いていました
ちょっと大きくなると
MDウォークマンを牛久のケーズデンキの店員の前で涙を流してねだったり
携帯携帯携帯買ってと脅し
髪染めたい、化粧したい、カラコン入れたい、ピアスはどうなの?
わがままのオンパレード
そのうち、彼氏ができた、家に連れてって良い?
わがままのかたまりじゃ
そんな子供に育てた覚えはない…
昔はよかったなー
一緒に手をつないで、何処でも一緒で
あの素直でかわいい娘はいったいどこへ行ったのだーぁ!!
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(トンファの稽古をする可愛かった頃の娘)
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(初めて黒帯を締める可愛かった頃の娘)
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五輪書


今回は、五輪書。
剣豪 宮本武蔵がその生涯の集大成として晩年に書き上げた、兵法の極意書です。



極真空手に足を踏み入れた者なら一度は手にしたことがあるのではないか?
と思われるほど我々にも縁の深い書
大山館長が尊敬してやまない、そして「昭和の宮本武蔵」になりたいと修行に明け暮れたという、その武蔵の書です。

そんな、宮本武蔵とは?五輪書とは?
僕も20代の頃、読みふけりました。
それと合わせて、吉川英治著「宮本武蔵」、長かったけど読み切りました。
そして、翌日、燃えながら稽古したものです…結構単純に火が着きます。

今回掲載するのは、
神子侃 訳の「五輪書」
そして、わが大山館長著。

「わが空手五輪書」
この本は、表紙がカッコいい!
そして、内容もなかなかです!が書きません。読んでください。


「昭和五輪書 全5巻」
この本は、宮本武蔵の五輪書になぞらえ、地・水・火・風・空、各テーマごとに書き上げている。
僕は特に「火之巻」が好きでした。



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子の心親知らず

親は、しばしば子の判断、決断を性急に求めがちである
人生を長く生きている分、子どものこれからを自分の経験則から導き出し、正しい答えだと思い込んでしまう
未来を言い当てることは我々、普通の人間には不可能なことであると同じこと
子どものこれからを経験則から言い当てることもできない
我々大人もついこの間までは子供だった
何とか道に迷いながらもここまでたどり着いた
子どもが岐路に立ちすくんでいる、その時に答えを出させる、決めさせることに急がせてはいけないのではないか?
答えを先延ばしするという知恵もあるのではないか?
空手を取るのか、勉学を取るのか?
進学校の高校1年の4月に答えを出させた親がいた
昇段に向け努力していたのに…
子どもの幸せな将来を考えたら、空手なんかねぇ…
大人にとっては迷うことの無い選択だけど、その子の胸中はどうだったんだろうか?
人はパンのみでは生きて行けないがパンがなけりゃ数日で死んでしまう
それも常識です
親の心子知らず
だけど、
子の心もまた親には計り知れない
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今度生まれ変わったら

今日も、県大会に向けた審判講習会で、指導員クラスの組手を行いました
みんな、さすが!
いい年なのに動きが衰えない
いつも組手をしながら強くなるには…と考えながら技を繰り出します
でも、悲しいかな、強い人は体格も良い
筋力もある
スピードも
そして技に対する反応も早い
結局、身体能力
この差を埋める術は…ありません
今度生まれ変わったら
身長:180cm
体重:80kg
パワー、スピード、ジャンプ力
そして武術に不可欠な闘争心
このすべてを兼ね備えて生まれてきたい
できたら甘いマスクも…
稽古だけ、武術の理だけではどうしようもない壁
でも、頑張ります!あと少しなので(笑)
(極真空手の奥義 円形逆突き)
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大子道場の紹介
・所属:極真会館茨城県支部
 桝田道場  桝田博支部長

・大子道場開設 平成12年
 責任者 蛭川浩 段位三段




稽古時間
・火曜日 …(19:00~20:30)
 一般部、少合同合同
 
・木曜日 …(19:00〜20:30)
 一般部、少年部合同
 
・土曜日 …(18:00~19:30)
 一般部  単独稽古




ご入会のお問い合せ
・問合せ先:責任者 蛭川浩

電話…090-5410-2953まで

・中央公民館裏側 柔剣道場

※見学希望の方、ご一報を!



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