極真空手 茨城大子道場

  Love&Freedom そのために…

2016年04月

The Kyokushin Way


珍しい英文の本です。
得意の英語力を駆使し読破したところ、内容はタイトルにもありますが大山館長、極真空手の武道哲学についてです。
まあ、国内書籍と同じですね…


イメージ 1





ケンカ空手 世界に勝つ


大山館長の著書で一番最初に手にしたのがこの本(昭和47年発行1972年)

世界を股にかけ闘い、そして空手を世界に広めていく半生を描いている。
中国拳法、サファーデ、カポエラ等々始めて聞く格闘技との真剣勝負に胸躍らせ物語に引き込まれていった。

世間では、大ぼら吹きだ、出鱈目だというがそんなことはどうでも良い
この胸の高まりは何なのか…?
館長名義の数々の著作に触れ、結果、若者たちはどうしたか?
そう、迷わず、極真の門を叩いた。

憧れ、夢みそして実際に空手修行の世界に踏み入り、一流の空手家が数多く誕生した事実がそこにある。
大山倍達は偉大である。
大山館長亡き後、極真はどうなったか。ご存知のとおりです。
あっという間の分裂。

地上最強と謳われた極真空手は雲散霧消。
大山館長は著書、言葉、演武、全身全霊をかけ極真門下生に夢を与え続けてくれた。
僕たちは夢を追い続けることができた。
実力以上の力も出せた。
先生せんせいと慕ってくれる弟子も持てた。

正に不生出の空手家である。
他に誰がいる?


イメージ 1





ビバ!極真カラテ


極真会館に関する、裏話が多数掲載されている。

極真会と極真会館。
大山館長と大山総裁。
支部長のエピソード等々。

我が桝田師範も「極真スタイリスト四天王」の一人として紹介されている。
確かに男前で長身で頭は良くておしゃれです。

まぁ、極真の男前度は他流に比べても高いですから…(自画自賛)



イメージ 1




イメージ 2






昇段時の提出文

道場生が文章を寄せてくれているので、ここらで僕も、拙い、ちょっと恥ずかしい文を掲載します。
25歳(昭和61年、1986年)の文章。

私が空手を始めたのは21歳の夏でした。昔から空手に興味があり、大山館長の著書も数冊読んでおり「どうせやるなら極真空手を」と考えていました。ある日、市内の書店をのぞき、そこで桝田道場のポスターを見つけたのが始まりでした。
その頃はまだ、水戸道場には黒帯が居らず、責任者を勤めていた茶帯の先輩が仁王様のように見えたのを今でも印象深く覚えています。けれどそれも日が立ち道場の雰囲気に慣れてくると、先輩方が常識を身に着けた、非常に優しい方々ばかりだとわかり「あぁ、これが極真なんだな、強さばかりじゃないんだな。」と感心したものでした。
とは言うものの、稽古の厳しさは変わるものではなく、道場の玄関に入るまでは、今日は休もうか、帰ろうかと迷う毎日でした。
空手をやるのはだれの強制でもなく自分で決めたことだから、いやなら帰ればいいものなのですが、そうせず続いたのは、稽古が終わってからの雑談の楽しさと、他の人に負けたくないという気持ちがあったから。それと何よりも仕事の鬱憤を晴らせるということも。
そういうわけで、いつの間にか大山館長の言われる「家・仕事・道場」の三合生活が、足を引きずり、あざをつくりながらも習慣となり今日まで続いてきました。
私にとって空手とは、道場とは何なのだろうか。
今回、黒帯をいただくにあたり思い直してみると、入門当時は、空手イコール憧れでした。
では今は?と聞かれれば、それは夢であり、希望であり、青春です。そして空気であり水でもあり、私にとっては必要不可欠なものになってしまったようです。
街を歩いている時でも、人と話している時でもいつも空手が頭の隅にあるのです。
これから黒帯を締めることにより、また変わってくるかも知れません。
でも、今のこの情熱だけはいつまでも持ち続け、昨日よりも少しでも強い技と豊かな心を身に着けてゆきたいと思っています。
最後になりましたが、桝田師範、諸先輩方ありがとうございました。これからもご指導、よろしくお願いします。

大山倍達を信じよ


評論家 平岡正明氏の著作。
昭和56年(1981年)発行。

次に大山館長が亡くなってから発行した第2版。
平成6年(1994年)発行。
の2冊を所蔵している。

ほぼ同じ内容ではあるが、館長死亡に係る文章を増補している。

結構、面白い。
評論家の著書なので、虚飾は少ないのでは?
著者も既に物故者。
大山館長を知る関係者がどんどんいなくなるなぁ…


イメージ 1


イメージ 2






がんばったしんさかい


しんさかいに行きました。2回目です。
ひっきしけんでは、れいせいにやることができました。
おわってからかえしてもらったら100点でした。
次にかたのしけんをやりました。ヤンツーをやることになって、やったことがないのでちょっとびっくりしました。
でも、少しじょうずにできました。
さいごにミットうちでは、力強くせいいぱいできました。
あとで先生が、「しはんがミットうちじょうずにできたな。」と言っていました。うれしかったです。
つぎのれんしゅうから、おびがくるのがたのしみで、早くいくようになりました。
おびがきたとき、黄色のおびが3本ありました。うれしかったです。
くろおびめざしてがんばりたいです。
(少年部小学3年生こうすけ・F)

こうすけの廻しけりが上手だと桝田師範がほめていました。
これからもがんばって、強い男になれよ!

春が来た

寒い冬が去り、春が来ました!
桜もあっという間にこの通り

イメージ 1

うれしかった黄帯

ぼくは、きょくしん空手のしょうきゅうしんさをうけました。
それからいつも、早く結果がこないかなと楽しみにしていました。
それで結果が出たら飛び級で7級から5級になり黄おびをもらいました。
うれしくてこれからもっともっとけいこをがんばろうと思いました。
そして早くお父さんをたおせるくらい強くなりたいです。

(少年部 小学2年 きずな)

武器について

空手での身体操作を学ぶために重要な武器術
人を殴るためではありません

(トンファー、サイ、棒、木刀)
武術の動き、腰の使い方、半身の取り方、居つかない重心移動
そして何より、武器を覚えることにより、対武器との戦い方、その武器の特徴、攻撃の軌跡がわかる

正に、武器術は空手と両輪である

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

第20回全日本大会参加記念品


アンディ・フグのかかと落としをモチーフにした記念メダル。
両国国技館で開催されました。


イメージ 1




イメージ 2






第20回全日本出場通知書


昭和63年11月19日~20日開催。
昭和時代最後の全日本大会ですね。



イメージ 1





サイン色紙


憧れの大山館長直筆のサイン。
茨城県大会時に後輩がもらってくれた。


イメージ 1





大子道場の紹介
・所属:極真会館茨城県支部
 桝田道場  桝田博支部長

・大子道場開設 平成12年
 責任者 蛭川浩 段位三段




稽古時間
・火曜日 …(19:00~20:30)
 一般部、少合同合同
 
・木曜日 …(19:00〜20:30)
 一般部、少年部合同
 
・土曜日 …(18:00~19:30)
 一般部  単独稽古




ご入会のお問い合せ
・問合せ先:責任者 蛭川浩

電話…090-5410-2953まで

・中央公民館裏側 柔剣道場

※見学希望の方、ご一報を!



読者登録(ぜひご登録を!)
LINE読者登録QRコード
QRコード(スマホ版へ行けます)
QRコード
来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

今までの記事
  • ライブドアブログ